遊学生OB訪問シリーズその7(小木曽OB編)
昨日(8月18日)に大先輩である小木曽OBに日墨会館に会いに行ってきまた。
小木曽OBは農学部卒ですが当時は4年間大学に行かせるのに一軒家が
建つ程の金額だったそうです。 卒業後メキシコに居た叔父さんに呼ばれ今から半世紀以上前にこの地に来ました。 そのころのメキシコはペソの切り下げのかなり前でペソでの給与が日本円に換算するとかなりの
高給になったそうです。メキシコのペソが強かった良き時代の話です。
メキシコでの最初の仕事がクエルナバカのSUMIYAの本格的日本建築の
庭園の仕事です。 1日24時間体制のきつい仕事だったそうです。
現在もそのクエルナバカで造園業を営んでいます。 日墨協会にある
あの庭園は小木曽OBのお仕事です。 ご高齢の今でもクエルナバカから週に数回このメキシコ市まで庭の手入れに来られています。
クエルナバカのあるモレロス州の日本語学校など日墨の文化交流に貢献したことで国から天皇陛下の名で旭日単光章という勲章を授与されています。 日墨会館のレストランで食事を招待して頂きその上貴重なお話を聞くことが出来ました。 その温厚と呼ぶにふさわしい物腰は我々後輩が学ぶべきところと思います。
小木曽OBは農学部卒ですが当時は4年間大学に行かせるのに一軒家が
建つ程の金額だったそうです。 卒業後メキシコに居た叔父さんに呼ばれ今から半世紀以上前にこの地に来ました。 そのころのメキシコはペソの切り下げのかなり前でペソでの給与が日本円に換算するとかなりの
高給になったそうです。メキシコのペソが強かった良き時代の話です。
メキシコでの最初の仕事がクエルナバカのSUMIYAの本格的日本建築の
庭園の仕事です。 1日24時間体制のきつい仕事だったそうです。
現在もそのクエルナバカで造園業を営んでいます。 日墨協会にある
あの庭園は小木曽OBのお仕事です。 ご高齢の今でもクエルナバカから週に数回このメキシコ市まで庭の手入れに来られています。
クエルナバカのあるモレロス州の日本語学校など日墨の文化交流に貢献したことで国から天皇陛下の名で旭日単光章という勲章を授与されています。 日墨会館のレストランで食事を招待して頂きその上貴重なお話を聞くことが出来ました。 その温厚と呼ぶにふさわしい物腰は我々後輩が学ぶべきところと思います。
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